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[ コラム ] 10月-24-2008

 1533年の初秋、フィレンツェの名門メディチ家の娘カテリーナ・ディ・メディチ(Caterina di Medici、フランス名カトリーヌ・ド・メディシス:Catherine de Medicis、1519-1589)がフランス王の次男アンリ・ドルレアン(後の国王アンリ2世、HenriII、1515-1559)に嫁いだ。

 その時にカテリーナはリキュールの製法を心得た従者を連れて行き、フランスの嫁ぎ先でもリキュールを作らせた。そのリキュールがポプロ(Populo)である ブランデーにムスク(じゃこう)、アニス、シナモンなどで香りをつけ、甘味を添えたものだ。

 これを契機として、リキュールは甘美な悦楽の媚薬としてフランス宮廷内で飲まれるようになったそうだ。さらに政敵や憎悪する縁者を倒すために毒薬を混入したリキュールを利用するような退廃的な風習まで生まれてしまった。

 2回に亘って、イタリア起源のリキュールの逸話を掲載した。リキュールが薬酒的な役割から徐々に嗜好的な役割へ変わっていった時代である。