とp PBO:NPO法人 プロフェッショナル・バーテンダーズ機構
youtubeチャンネル WRLD CLASS 2024 PBOセミナー報告2023
[ コラム ] 2009年04月24日

 18世紀頃の話。イギリス海軍のバーノン提督は、粗製ラムには壊血病予防の効果があると信じていた。そこで従来、水兵にビールを支給していたが、昼食前に半パイント(284ml)のラムを支給することにした。

 水兵たちは喜んで、提督のことを「いいやつ」という意味を込めて「Old Rummy(オールド・ラミー)」と呼んだという。ここからラムという名が生まれたという説もあるそうだ。ちなみに「ラミー」という言葉は、今では「いいやつ」ではなく「酔っ払い」という意味になってしまっている。

 さて、水兵たちの話に戻る。ラムを支給されるようになって午後の作業に支障をきたすものが出てきた。そこで1740年にバーノン提督はラムを4倍の水割りにして、2回に分けて支給することにした。当然、水兵たちは面白くない。新しく支給された酒を、提督がいつも着ているヨレヨレのグログラム(絹とウールの交織による粗い布地)のマントをもじって「グロッグ」と呼んだ。

 この「グロッグ」という呼び名が、いろいろな言葉となって広がっていった。安酒を売る居酒屋「グロッグ・ショップ」、水割りのグロッグでも弱い酒と侮って飲み過ぎればフラフラに酔っぱらうことから生まれた言葉「グロッキー」(ボクシング用語にもなった)。

 三角貿易の悲しい過去、そして笑える愉快な過去、いろいろな歴史の顔を見せてくれる酒、それがラムなのかもしれない。



[ 千葉県支部 ] 2009年04月19日

日時:平成21年4月19日 7時30分〜
場所:富士御殿場蒸留所
参加人数:39名(ビジターも参加)

・蒸留所紹介ビデオ上映
・蒸留所見学
・講義・原酒試飲・比較試飲テイスティング
・ブレンド体験
・質疑応答
・懇親会(御殿場高原ビール)

千葉県支部:富士御殿場蒸留所見学ツアー

Read the rest of this entry »



[ コラム ] 2009年04月17日

 西インド諸島で生まれたラムは、ジャマイカ島を中心砂糖工業が発達したことにより、糖蜜を用いる蒸留業として生産が盛んになった。18世紀になると悲しい人類の歴史の中で世界的な酒へと育ってきた。

 航海技術の進歩とヨーロッパ列強の植民地政策によって生まれた「三角貿易」をご存じだろうか。アフリカから黒人を奴隷として西インド諸島に連れてきて、サトウキビ栽培の労働力とする。そのカラになった船に糖蜜を積み、アメリカのニュー・イングランドに運ぶ。ここで糖蜜からつくったラムを積み込みアフリカへ戻る。そしてこのラムがアフリカの黒人と交換される。これが植民地史上有名な「三角貿易」である。アフリカ黒人の奴隷売買という悲しい歴史の中で、ラムは広がっていったのである。

 新大陸アメリカの人々にとってラムづくりは魅力的な商売であった。ラムは、バーボンやウィスキーよりも前につくられたアメリカで最初に蒸留された酒だったのだ。そして、魅力的な商売であったことが独立戦争のキッカケのひとつにもなったという。

 1733年、イギリス政府はイギリス植民地以外の土地からアメリカへ糖蜜を輸入することに対して、禁止的な高い関税を課すことにした。低価格で品質の良いフランス植民地からの糖蜜輸入の排除を狙ったのである。これによって密輸が増え、1764年には「糖蜜法」が生まれて密輸を厳しく取り締まるようになった。こうした政策がアメリカ独立戦争の原因のひとつになったいわれているようだ。

 その後アメリカでは、1807年に「糖蜜の輸入禁止令」、1808年に「奴隷取引廃止令」が施行され、アメリカ本国でのラム製造が終わり、代わりにウィスキー製造が盛んになっていく。