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[ コラム ] 2008年10月31日

 賢者の石。金属を金や銀に変える力を持つと考えられていた想像上の石のことだ。今はハリー・ポッターの話が有名だが、もちろん今回もリキュールにまつわる話だ。

 蒸留酒を生んだのは中世の錬金術師。蒸留酒の製法は、錬金術における「賢者の石」精錬の試みの中で偶然発見されたといわれている。そして、生まれた強烈なアルコール分を含んだ酒を「アクア・ヴィテ/Aqua vitae(生命の水)」と称した。

 つまり、「生命維持の秘薬」として用いられていたのだ。その効果を高めて秘薬を超えた霊酒に生み出すために、さらに各種の薬草を溶かし込んでいった。この植物の有効成分を溶かし込んだ(リケファケレ:リキュールの語源)酒は、錬金術師たちによって「エリクシル/elixir」と呼ばれたそうだ。

 エリクシルの由来は、アラビア語の「アル・イクシール/al-iksir」。アルはtheと同じ定冠詞。そしてイクシールが、「賢者の石(philosopher’s stone)」を意味する。

 錬金術師が調合したいろいろな薬酒をエリクシルと呼ぶようになり、リキュールの祖先が生まれたときにも、この名前が使われていたのである。賢者の石は金属を金や銀に変えるというが、リキュールまで生み出したと考えると何とも面白いではないか。

※リケファケレにまつわる話は、既出コラム「リキュールの語源」で。



[ コラム ] 2008年10月24日

 1533年の初秋、フィレンツェの名門メディチ家の娘カテリーナ・ディ・メディチ(Caterina di Medici、フランス名カトリーヌ・ド・メディシス:Catherine de Medicis、1519-1589)がフランス王の次男アンリ・ドルレアン(後の国王アンリ2世、HenriII、1515-1559)に嫁いだ。

 その時にカテリーナはリキュールの製法を心得た従者を連れて行き、フランスの嫁ぎ先でもリキュールを作らせた。そのリキュールがポプロ(Populo)である ブランデーにムスク(じゃこう)、アニス、シナモンなどで香りをつけ、甘味を添えたものだ。

 これを契機として、リキュールは甘美な悦楽の媚薬としてフランス宮廷内で飲まれるようになったそうだ。さらに政敵や憎悪する縁者を倒すために毒薬を混入したリキュールを利用するような退廃的な風習まで生まれてしまった。

 2回に亘って、イタリア起源のリキュールの逸話を掲載した。リキュールが薬酒的な役割から徐々に嗜好的な役割へ変わっていった時代である。



[ コラム ] 2008年10月18日

 前回までちょっと固い話が続いたので、リキュールの歴史にまつわる楽しい話をご用意した。
 15世紀、北イタリア、ヴェネチアとヴェローナの中間の町パドヴァの話である。パドヴァにミケーレ・サヴォナローラ(Michele Savonarola:1384-1462)という一人の医師がいた。彼は、さる病弱な婦人に生命の水と讃えられているブランデーを薬として勧めたが、その婦人は飲みたがらなかった。

 そこでサヴォナローラ医師は、ブランデーにローズの花の香りとモウセンゴケ(sundew)の味を溶かし込んだリキュールを開発し、ロゾリオ(Rosolio)と名付けて勧めてみた。その婦人は気に入ってこれを薬として飲むようになったという。これがリキュール・ロゾリオの誕生物語である。

 ロゾリオとは、モウセンゴケのイタリア古語ロゾリ(rosoli)に由来する。このロゾリも、元はラテン語で「露」を意味するロス(ros=dew)と、同じく「太陽」を意味するソリス(solis=of the sun)を由来とする言葉だ。つまり、ロゾリオとは「太陽のしずく」といった意味になる。

 ロゾリオの評判は、パドヴァの町に広がり、やがてイタリアでつくられる薬酒系のリキュールは、いずれもロゾリオと称されるようになり、イタリア産のリキュールの代名詞になった。ちなみに1480年ごろ、ナポリの南サレルノでは、こうしたロゾリオが薬酒として盛んにつくられていたようである。