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[ コラム ] 2009年11月06日

 前々回にソーマ酒をとりあげたので、類似の酒として今回はハオマ酒の話である。ハオマ酒は作家・松本清張が大きな関心を持っていたことで知られている。

 正確にいえば、ソロアスター教に関心があったようだ。松本清張は、ゾロアスター教が斉明天皇の時代に日本に入ってきたと考えていたようで、『火の路』という作品を残している。ハオマ酒に関しては、NHK特集『清張古代史をゆく』の「ペルセポリスから飛鳥へ」の巻で、次のような旅の体験をしている。

『紀元前1200年もの昔から燃やし続けてきたという聖火の前での拝火の儀式の後、祭司は松本を別室に導いた。ここで、祭司は松本の眼前でハオマの酒をつくり始めた。部屋の広さは20畳ばかり、出入り口のほかは三方白壁に囲まれ、調度品は何ひとつない。祭司は壁際に胡坐をかく。アヴェスターの中の「ヤスナ書」の一部「ガーシ」を唱えながら、二つ並んだどっこの股に石榴(ざくろ)の小枝を挟んでいった。そのあと銅の小鉢に入れ、ある種の小枝を加え、金属棒で上から叩きつぶす。液汁は濾過後に大きな鉢にためる。茶褐色の液汁である。風化して黒くなった銀の盃で飲んだハオマの液体は濁ってどろりとしており、舌の先で味わうと、味はなく、わずかな苦みとかすかに薄荷(はっか)の匂いがした。これがハオマかと祭司にきくと、そうだと答えた。ハオマは何の木からつくるのかときくと、赤い木から採れるという。その植物の名は何かと再度尋ねても、繰り返し“フーム”とのみ答え、通訳にもその意味はわからなかった、』

 はたして酒であったのか。ゾロアスター教の聖典にあるハオマ酒は、「ドウーラオ=死を遠ざけるもの」とされ、健康と活力を付与するとされていたらしい。古代インドのソーマ酒とよく似ていると言われている。エクスタシー症状、あるいは幻覚症状を起す要素があったのは間違いなさそうだ。

 研究書によれば、ハオマの実体は早い時代から不明となって種々の学説があるらしいが、強い幻覚を惹き起すとされる点では一致している。伝説では、不可視の天界にあるアスナワント山のハオマの枝が大天使により鳥の夫婦に授けられ、その枝が臼で挽かれて牛乳と混ぜられてハオマ酒になったという。ゾロアスター教の説く不思議な光景は、このハオマ酒の喫飲によるものといわれているようだ。



[ PBO 沖縄エリア ] 2009年11月04日

沖縄エリアセミナー主催
「フルーツカッティング」講習会

開催日 2009年11月4日(水) 14:00〜16:00
テーマ 「フルーツカッティングとデコレーション」
講 師 上里 健 氏

今回のセミナーは、メンバーの要望の高かった「フルーツカッティング&デコレーション」を行ないました。

30名限定の企画でしたが、メンバー&ビジター合わせて40名でのセミナーとなり、充実した時間となりました。

沖縄エリアセミナー主催「フルーツカッティング」講習会

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[ コラム ] 2009年10月30日

 前回がソーマ酒だったので、同じインドの古酒であるスラー酒を取り上げたい。インドラがソーマ酒に悪酔いして、吐き出したものがスラー酒ともいわれるからだ。

 スラー(Sura)酒も解明されていなかった部分が多かったのだが、『酒造りの民族誌』の「古代インドの酒スラー」(永ノ尾信悟著)により明らかにされている。古代の酒が詳細に記述されている、大変珍しい文献である。

 その中で、紀元前1000年後半に成立したといわれる3つの文献「バウダーヤナ・シュラウタスートラ」「アーパスタバ・シュラウタスートラ」「カーティヤーヤナ・シュラウタスートラ」から引用して次のようにまとめてある。

 スラーは大麦芽、稲芽、豆芽などの発酵材にさらに玄米粥、その重湯そして炒り玄米あるいは大麦粥や炒り大麦を材料としたかなりドロドロした飲み物である(飲むときは多くのミルクを入れる)。

 それ以前の文献では、『東亜発酵化学論攷』(山崎百治著)の中で次のように解説されている。「ソーマ酒に次いで重要なものはスラー酒で、其製法は発芽野生稲に、牛乳凝固物をバター、ミルクに浸漬した大麦の粗粉と微炒した大麦とを加え、発酵させる」

 スラー酒はソーマ酒と同様に古代インドのヴェーダ儀礼に使われる供物であり、広く民衆にも飲まれたいたようだが、ヒンドゥー教の普及によって飲まれなくなったらしい。

 ちなみに古代インドには、メーダカ、プラサンナ、アーサヴァ、アリシタ、マイレーヤ、マドーなど、いろいろな酒があったらしい。古代の人も飲み比べていたのかと思うと楽しくなってくる。酒好きとっては、意外と幸せな世界だったのかもしれない。