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[ 千葉県支部 ] 2009年10月25日

製氷工場見学

 日時:平成21年10月25日 11時45分〜14時30分
 場所:株式会社前川インターテック(茨城県守谷市)
 参加人数:7名

・ビデオ視聴・座学(ワイン&ピスコ試飲)・工場見学・実演

平成21年10月25日製氷工場見学

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[ コラム ] 2009年10月23日

 今回からは、現代では手に入らない珍種ならぬ、珍酒の話である。その第一回は、ソーマ酒。はたして酒であったのかどうかさえ判らない、紀元前1200年頃にインドで登場する酒である。

 インドの最古の文献である「ヴェーダ」の中でも最も古いとされる「リグ・ヴェーダ」に「ソーマ(Soama)」は登場する。長い間に書かれたもので約紀元前1200頃に成立して、アーリア人の宗教、神話、生活態度を伝えている文献だという。

 もちろんそれ以前にも酒はあったと思われる。インドのインダス文明は紀元前3000年頃に始まったとされるし、発掘物からはメソポタミアや中国との交流もあったといわれている。ビールやワインを知っていたとも考えられるのだ。

 さて、このソーマ酒は、神々の中でも特に重んじられたインドラの神に捧げられたと記述されている。インドラは武勇神であり英雄神である。仏教では帝釈天と呼ばれているので、こちらの名前だと親しみがあるだろう。このインドラが蛇形の悪魔ヴィリトラを退治する時に神酒ソーマを飲んで英気を養ったという。

 ソーマ酒は、ソーマという植物の茎から採った液と牛乳、バター、麦粉を混ぜて造ると記載されている。当時の特別な祭りでは宴も盛大で、飲食も盛んだったらしい。ソーマは重要な供物であり、神格化されていたようだ。

 酒であったのかどうか、造り方の中に発酵の様子が出てこないので判っていないが、飲む者に陶然たる快感を与えたらしい。一種の興奮飲料かもしれないが、人々は供物の残りを飲んで長寿を願った。栄養と活力を与え、心身を強くし、戦う人々に勇気を授け、子孫を繁栄させて病気を癒し、寿命を延ばす効果があったという。特に、詩人は霊感を得て、詩想を豊かにできる効用が強調されていたようだ。

 そんな酒ならぜひ復活させてみたいと考える方がいるかもしれないが、残念ながら出来ない。ソーマは山地に自生した灌木の一種らしいが、判っていない。今や、植物学的にも明らかにすることは不可能なのだ。



[ コラム ] 2009年10月16日

 さて、問題をひとつ。中国で確認されている酒の存在は、A)3000年前、B)4500年前、C)6000年前、のいずれか? あなたは、ご存じだろうか。

 正解は、C)6000年前。1988年7月13日付「毎日新聞」夕刊にこんな記事が掲載されている。

 中国醸造六千年最古の酒器発見:中国新聞社電によると、中国の考古学関係者が最近発見した西省眉県の約六千年前の原始村落遺跡から中国でこれまで見つかった中では最も古い酒器が出土した。また黄河の支流、渭水の流域に位置する眉県馬家鎮楊家村のヤンシャオ時代の遺跡から出土したのは土器製で、中・小の酒杯、ひょうたん形の酒瓶など十点。小型の酒杯は現代の酒杯とよく似ている。このことから、中国の醸造業は五千年の歴史があるとされていた定説が覆され、さらに一千年も古く、ヤンシャオ時代からと確認された。

 湖南省の遺跡からは、一万年前の炭化した米が発見されているのだから、もっと古い時代から酒は造られていたはずだが、酒に関する逸話というのが不思議と残っていないようだ。

 酒と造った人として中国の歴史に登場するのは、「儀狄(ぎてき)」と「杜康(とこう)」である。「漢事始」「陶淵明集述酒詩」「戦国策」「酒譜」などに記述が見られる。神話として神々が登場する物語がないので、この酒造りで有名な二人が、さしづめ中国の酒神ということになるだろう。

「戦国策」には、「儀狄(ぎてき)」の名前が出てくるこんな一節がある。

 昔、帝の女は儀狄をして酒を造ら令め、而して美なり、之を禹に進む。禹飲みて甘しとし、遂に儀狄を疎んじ、旨酒を絶ちて曰く、後世、必ず酒を以てその国を亡ぼす者有らん

 帝の禹が、儀狄が作った酒を飲んでみて、旨いので溺れないように酒を絶ち、後の世に酒で国を亡ぼす者が出ると予言したとある。その通りに、17代目の桀(けつ)王が酒色に溺れて湯(とう)に滅ぼされ、商から殷(いん)の時代に移って飲食が盛んになり、30代目の紂(ちゅう)王は酒池肉林の言葉を残して滅亡した。

「杜康(とこう)」に関しては、弁当の飯が半月後に発酵したことから酒造りを考えついたという逸話が残っている。真偽は定かではないが、ちょっとした酒場の話題としては面白いのではないだろうか。

 それにしても古い歴史を持つ中国の話である。誰が酒を作ったのか。昔のことだから諸説あって、いずれもあやしいものである。結局のところ、誰が作ったということは分からないし、決められないというのが正解なのだ。