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[ コラム ] 2009年10月09日

 アステカには多くの酒神が存在したが、それにも増して酒神が数多く存在するのが日本である。古くから多くの神社で神事として酒が作られてきたこともあり、まさに枚挙のいとまがないくらい存在する。

 神社と酒の関わりについて詳細な調査をされた「日本の酒5000年」(加藤百一)によると、酒の神は4つに類型化できるらしい。その4つのタイプに属する神と神社を列挙してみよう。

1)記紀神話に現れた酒神

◆大山津見神(おおやまつみのかみ)と神阿多都比売(かむあたつひめ:神吾田鹿葦津姫(かむあたかしつひめ)):別名は酒解神(さけとけのかみ)と酒解子(さけとけのみこ)で、京都市の梅宮大神に祀られる。
◆宗像三女神、多紀理毘売命(たきりひめのみこと)・市寸島比売命(いちきしひめのみこと)・田寸津比売命(たきつひめのみこと):福岡県沖の島の宗像神社。
◆大物主神(おおものぬしのかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ):奈良県桜井市の大神神社に祀られ、三輪山全体が神体。
◆大山昨神(おおやのくいのかみ):大津市の日吉(ひえ)大社、京都市の松尾大社。

2)賓客(まろうど)型の酒神

◆豊受大神(とようけのおおかみ:豊宇気毘売神(とようけひめのかみ)):天女羽衣伝説。伊勢神宮外宮。
◆神櫛王(かみくしのみこ):紀伊、讃岐地方に酒造を伝える。酒出市の城山神社、琴平町の櫛梨神社。
◆酒人王(さかとのみこ):酒造指導。岡崎市の酒人神社。
◆久斯之神(くしのかみ):平田市の佐香(さか)神社。

3)原初の神

◆酒水:京都府船井郡の摩気神社、鈴鹿市の酒井神社
◆酒甕:埼玉県児玉郡の「みか」神社

4)掌酒(さかびと)型の神人

◆高橋活日命(たかはしのいくひのみこと):掌酒。桜井市三輪町の大神神社(活日社)。

 以上の中で、今日の清酒酒造家が敬うのは、「1)記紀神話に現れた酒神」に出てくる松尾大社、大神神社、梅宮大神である。

 古文書に出てくる酒は、「古事記」の神代記のスサノヲノミコトがヤマタノオロチを退治した時に造らせた「八塩折之酒(やしおりのさけ)」が有名で、「日本書紀」にも同音異字で登場する。不思議なことに、酒を造らせたスサノヲノミコトは酒神となっていない。

「古代造酒」によれば大物主神または大彦神をもって造酒(みき)の神とし、他にも大物主、少彦名のニ神を酒の神として記述しているものが多く見受けられるようだ。こうした神々が酒造の方法を広く教えたらしい。

 日本の酒神は呼び名も難しく、酒場の話題にしづらいが、こんな行事は話のネタになりそうだ。

 宮崎県の高千穂で行われる「夜神楽」の行事。登場するのは、イザナギノミコトとイザナミノミコトだ。ここで二神は酒造りに励む。その後にその酒を飲んで酔っ払った後で和合する場面があるという。とても珍しい行事といえるのではないだろうか。

 もちろん、時と場合を考えて話さないとヒンシュクを買うので注意が必要だ。



[ コラム ] 2009年10月02日

 古代メキシコだから、アステカ文明の酒神ということになる。アステカ族の酒といえば「チチャ(アカ・チャチャ)」という口噛み酒。一種のビールになるが、アステカ族は多くの酒神を崇めていたという。

 神々の長である「オメトクトリ」をはじめ、酔った人を事故死から守る「テクェクメカウイアニ」、酔っ払いに刑罰を与える「テートラヒュイアニ」、「クァトラパンキ」「パパスタック」という二日酔いの神様までいたようだ。

 多くの酒神のもとで、アステカ族にとって酔うことは神の思し召しであった。羨ましい?ことに、酔った人は社会的にも個人的にもいかなる束縛も受けなかったらしい。

 ちなみに、「チチャ(アカ・チャチャ)」は、紀元前2000年頃からメキシコからラテンアメリカ一帯で飲まれていた酒である。粉にしてこねた穀物を口内に含んで唾液を混ぜ、その発酵作用を利用して作られていた。主にトウモロコシが原料だったようだが、地域によってはキヌア(アカザ科の植物)やマニオク(キャッサバ)などのイモ類も用いられていた。どの段階で唾液を加えるのかも含めて、いろいろな「チチャ」があったという。

 アステカ文明にはもうひとつ、神に捧げる神聖な酒で今でも飲まれている伝承の酒がある。以前、テキーラのコラムで登場した「プルケ」だ。

 この「プルケ」にまつわる神話伝説を、酒場の話題にひとつご紹介しよう。ナワ族の神話伝説の中に出てくる「蜘蛛の災い」である。

 ギリシア神話におけるプロメテウスのように、人類に火をもたらしたとされるケツァルコアトル神は平和の神でもあった。ケツァルコアトル神は、アステカ文明の習慣であった人身供犠を人々にやめさせたという。そこで、人身供犠を好むアステカ族の神テスカトリポカの恨みを買った。

 テスカトリポカ神は自分の姿を蜘蛛に変えて、ケツァルコアトル神にプルケという酒を勧めた。ケツァルコアトル神はその甘美な味に酔いしれ、乱れた生活をするようになり、享楽にふけり、ついにはその地を去ることになった。そして自ら焼死し、金星となったという伝説である。

 この「蜘蛛の災い」は、トルテカ王トピルツィンの身に起こった話だともいわれている。トルテカ王トピルツィンはケツァルコアトル神に仕える大神官であり、当時、大神官は仕える神の名で呼ばれるのが慣習だった。人身供犠が習慣とはいえ、歴代の王にも厳としてケツァルコアトル神を信仰する者が現れたようである。一説によるとテスカトリポカ神の神官に酒で酔わされて女の神官と交わってしまい、神官としての純潔さを失ったがために都を去ったという。

 最後におまけもひとつ。世界最大の翼竜ケツァルコアトルスの名は、この神に由来するという。



[ コラム ] 2009年09月25日

 エジプトの酒神として名高い、オシリス。元々は人間だった。そして酒神である前に、冥界の神であるとともに豊穣の神であった。オシリスはどうして酒神として崇められるようになったのだろうか。

 人間だったオシリスには、イシスという妹がいた。イシスが先に亡くなり、嘆き悲しんだオシリスが冥界に入り支配することになったという。

 豊穣の神としてのオシリスは、人々に耕作や牧畜を教えたそうだ。毎年ナイル河に起こる恐ろしいが肥沃な土をもたらす氾濫とそれに続く豊作を約束する神であった。

 なぜ、オシリスが冥界の神であり、豊穣の神であるのかは定かではない。バッカスの葡萄も、枯れて芽吹くということから不死の生命をイメージさせたように、古代世界では死と生は一体として語られるものなのかもしれない。

 では、なぜオシリスが酒の神になったか。一説によると、ナイル河の氾濫と豊作という相反する二面性と、酒のもたらす善悪の二面性が一致したためともいわれている。悪い側面は別にしても、豊穣と酒は地域を問わず密接な関係にあるので、豊穣の神が酒の神になることは自然な流れだったのかもしれない。

 また、酒神の信仰は、暴飲を避け、できるだけその効用を得る意味があったようだ。酔っての乱行、自失の行為を律するために生み出された知恵ともいえる。蛇足ながら、そうした信仰が必要な人が現代にもまだまだいるようだが。

 酒場の話題としては、「死者の書」に出てくる菓子と麦酒のアアトと呼ばれる場所でのエピソードはどうだろうか。

 四つ裂きにされたオシリスの体をアアトで秤にかけて、その欠けていないことを確かめ、組み立て直し、生き返させる。オシリスは、天の菓子と麦酒をトト神から与えられて元気を取り戻した。

 酒は元気を与える薬にもなる、というオチである。