とp PBO:NPO法人 プロフェッショナル・バーテンダーズ機構
youtubeチャンネル WRLD CLASS 2024 PBOセミナー報告2023
[ コラム ] 2009年09月18日

 酒神といわれて、ほとんどの人が思い起こすのは「バッカス」ではないだろうか。ギリシャ神話に登場する有名な神の一人である。ところで、「バッカス」というのはローマ時代の呼び方なのだが、ギリシャの神としては何と呼ばれていたかご存じだろうか。

 答えは、ディオニュソス。酒の神とはいっても、実はワインの神である。

 父親は、大神ゼウス。母親は、ゼウスの妻ヘラではなく、テーバイという国の王女セメーレである。嫉妬深いヘラは策略をもって、セメーレにゼウスの本身を見ることを望ませて、焼き殺してしまう。その時にセメーレはバッカスを身ごもっていて、それを知ったゼウスが火の中から子供と助け出し、脇腹で臨月まで育ててニンフ達に預けたというのが誕生の物語である。

 いつの世も浮気を知った妻の怒りはすさまじいもので、バッカスの苦難は続く。ニンフに育てられたバッカスは成長して、葡萄の栽培方法と果汁の絞り方を考えでしたのだが、またしてもヘラがバッカスの気を狂わせて、追い出した。バッカスは国々をさすらい、インドの方まで行ったという。そして至る所で葡萄の栽培方法やワインの作り方を教えたといわれている。

 ギリシャに帰ったバッカスは女神レアに授けられた自分の信仰を広めようとした。葡萄の神とは、冬に枯れ、春に芽吹く神であり、死んでは甦る不死の生命を持つ神として古代世界の人達に崇められたようだ。しかし酒の神であるから、一方で自由解放の喜びを与え、他方で狂気と破壊の野蛮に陥る危なさもあった。結果的にはあまりに熱狂的なものだったので、時の為政者によって無秩序と狂乱をもたらすとして禁止されたという。

 酒場の話題としては、次のような若い頃のエピソードなども面白いのではないだろうか。

 悪い船乗りたちが彼を捕まえて売り払おうと企み、船柱に縛り付けたところ、その柱から葡萄の蔓がはびこり、葡萄の房が垂れさがり、かぐわしいワインの匂いが流れた。船乗りたちは驚き恐れ、海に飛び込んだところ、皆イルカになってしまった。

 ちなみに、バッカスは演劇の神でもある。また、クレタ島の遺跡によると、ワインの神の前は蜂蜜酒の神であったという。



[ コラム ] 2009年08月07日

 ハワイにも一時、スピリッツが製造されていた。タロイモ(現地でいうティ:Ti)を原料にした特産の蒸留酒である。

 オコレハオという蒸留酒である。ポリネシア語で「鉄の尻」という意味だそうだ。

 1970年ごろ、ウイリアム・スチーブンソンというイギリスの蒸留業者が旅行でハワイを訪れたとき、タロイモが豊富なことに目をつけ、これを原料に蒸留酒づくりを試みたそうだ。

 その際に、捕鯨船の鉄の釜で即席の蒸留釜をつくったのだが、その形態が豊満な肉体の尻の形を連想させたので、こうした名がついたという。

 残念なことだが、現在はオコレハオの製造は途絶えているとのことだ。



[ コラム ] 2009年07月31日

 アルコール含有物を連続式蒸留機以外の蒸留機で蒸留したものである乙類のルーツこそ、歴史的にみて日本で生まれた最初の蒸留酒といえる。

 その製法は、東南アジアから海上ルートを経て沖縄に伝わったという。15世紀後半には沖縄で蒸留が行われていたらしい。

 1559(永禄2)年には、薩摩の大口村で焼酎が飲まれていたという記録が残っている。薩摩産の米で作られた焼酎で、庶民の間でもかなり飲まれていたという。ちなみに薩摩は芋焼酎が有名だが、この地方にサイツマイモが渡来したのは1705(宝永2)年といわれ、琉球から山川町にもたらされたのが初めてだということだ。

 その後、焼酎の製造は九州南部に広がり、球磨地方や宮崎地方で盛んにつくられるようになった。そして九州北部、中国、四国地方で酒粕を原料とする粕取り焼酎が広まっていった。いずれも単式蒸留機で製造されていたので現在の焼酎乙類に相当する酒である。

 日清戦争後の明治28(1895)年ごろに、ヨーロッパから連続式蒸留機が日本へ輸入され、明治40年代に入って、焼酎甲類に相当する酒がつくられるようになった。この新しい酒は「新式焼酎」と呼ばれ、旧来の単式蒸留機でつくる焼酎は「旧式焼酎」と呼ばれた。この新式焼酎が現在では焼酎甲類に、旧式焼酎が現在の焼酎乙類になったわけである。