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[ コラム ] 2009年10月23日

 今回からは、現代では手に入らない珍種ならぬ、珍酒の話である。その第一回は、ソーマ酒。はたして酒であったのかどうかさえ判らない、紀元前1200年頃にインドで登場する酒である。

 インドの最古の文献である「ヴェーダ」の中でも最も古いとされる「リグ・ヴェーダ」に「ソーマ(Soama)」は登場する。長い間に書かれたもので約紀元前1200頃に成立して、アーリア人の宗教、神話、生活態度を伝えている文献だという。

 もちろんそれ以前にも酒はあったと思われる。インドのインダス文明は紀元前3000年頃に始まったとされるし、発掘物からはメソポタミアや中国との交流もあったといわれている。ビールやワインを知っていたとも考えられるのだ。

 さて、このソーマ酒は、神々の中でも特に重んじられたインドラの神に捧げられたと記述されている。インドラは武勇神であり英雄神である。仏教では帝釈天と呼ばれているので、こちらの名前だと親しみがあるだろう。このインドラが蛇形の悪魔ヴィリトラを退治する時に神酒ソーマを飲んで英気を養ったという。

 ソーマ酒は、ソーマという植物の茎から採った液と牛乳、バター、麦粉を混ぜて造ると記載されている。当時の特別な祭りでは宴も盛大で、飲食も盛んだったらしい。ソーマは重要な供物であり、神格化されていたようだ。

 酒であったのかどうか、造り方の中に発酵の様子が出てこないので判っていないが、飲む者に陶然たる快感を与えたらしい。一種の興奮飲料かもしれないが、人々は供物の残りを飲んで長寿を願った。栄養と活力を与え、心身を強くし、戦う人々に勇気を授け、子孫を繁栄させて病気を癒し、寿命を延ばす効果があったという。特に、詩人は霊感を得て、詩想を豊かにできる効用が強調されていたようだ。

 そんな酒ならぜひ復活させてみたいと考える方がいるかもしれないが、残念ながら出来ない。ソーマは山地に自生した灌木の一種らしいが、判っていない。今や、植物学的にも明らかにすることは不可能なのだ。



[ コラム ] 2009年10月16日

 さて、問題をひとつ。中国で確認されている酒の存在は、A)3000年前、B)4500年前、C)6000年前、のいずれか? あなたは、ご存じだろうか。

 正解は、C)6000年前。1988年7月13日付「毎日新聞」夕刊にこんな記事が掲載されている。

 中国醸造六千年最古の酒器発見:中国新聞社電によると、中国の考古学関係者が最近発見した西省眉県の約六千年前の原始村落遺跡から中国でこれまで見つかった中では最も古い酒器が出土した。また黄河の支流、渭水の流域に位置する眉県馬家鎮楊家村のヤンシャオ時代の遺跡から出土したのは土器製で、中・小の酒杯、ひょうたん形の酒瓶など十点。小型の酒杯は現代の酒杯とよく似ている。このことから、中国の醸造業は五千年の歴史があるとされていた定説が覆され、さらに一千年も古く、ヤンシャオ時代からと確認された。

 湖南省の遺跡からは、一万年前の炭化した米が発見されているのだから、もっと古い時代から酒は造られていたはずだが、酒に関する逸話というのが不思議と残っていないようだ。

 酒と造った人として中国の歴史に登場するのは、「儀狄(ぎてき)」と「杜康(とこう)」である。「漢事始」「陶淵明集述酒詩」「戦国策」「酒譜」などに記述が見られる。神話として神々が登場する物語がないので、この酒造りで有名な二人が、さしづめ中国の酒神ということになるだろう。

「戦国策」には、「儀狄(ぎてき)」の名前が出てくるこんな一節がある。

 昔、帝の女は儀狄をして酒を造ら令め、而して美なり、之を禹に進む。禹飲みて甘しとし、遂に儀狄を疎んじ、旨酒を絶ちて曰く、後世、必ず酒を以てその国を亡ぼす者有らん

 帝の禹が、儀狄が作った酒を飲んでみて、旨いので溺れないように酒を絶ち、後の世に酒で国を亡ぼす者が出ると予言したとある。その通りに、17代目の桀(けつ)王が酒色に溺れて湯(とう)に滅ぼされ、商から殷(いん)の時代に移って飲食が盛んになり、30代目の紂(ちゅう)王は酒池肉林の言葉を残して滅亡した。

「杜康(とこう)」に関しては、弁当の飯が半月後に発酵したことから酒造りを考えついたという逸話が残っている。真偽は定かではないが、ちょっとした酒場の話題としては面白いのではないだろうか。

 それにしても古い歴史を持つ中国の話である。誰が酒を作ったのか。昔のことだから諸説あって、いずれもあやしいものである。結局のところ、誰が作ったということは分からないし、決められないというのが正解なのだ。



[ コラム ] 2009年10月09日

 アステカには多くの酒神が存在したが、それにも増して酒神が数多く存在するのが日本である。古くから多くの神社で神事として酒が作られてきたこともあり、まさに枚挙のいとまがないくらい存在する。

 神社と酒の関わりについて詳細な調査をされた「日本の酒5000年」(加藤百一)によると、酒の神は4つに類型化できるらしい。その4つのタイプに属する神と神社を列挙してみよう。

1)記紀神話に現れた酒神

◆大山津見神(おおやまつみのかみ)と神阿多都比売(かむあたつひめ:神吾田鹿葦津姫(かむあたかしつひめ)):別名は酒解神(さけとけのかみ)と酒解子(さけとけのみこ)で、京都市の梅宮大神に祀られる。
◆宗像三女神、多紀理毘売命(たきりひめのみこと)・市寸島比売命(いちきしひめのみこと)・田寸津比売命(たきつひめのみこと):福岡県沖の島の宗像神社。
◆大物主神(おおものぬしのかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ):奈良県桜井市の大神神社に祀られ、三輪山全体が神体。
◆大山昨神(おおやのくいのかみ):大津市の日吉(ひえ)大社、京都市の松尾大社。

2)賓客(まろうど)型の酒神

◆豊受大神(とようけのおおかみ:豊宇気毘売神(とようけひめのかみ)):天女羽衣伝説。伊勢神宮外宮。
◆神櫛王(かみくしのみこ):紀伊、讃岐地方に酒造を伝える。酒出市の城山神社、琴平町の櫛梨神社。
◆酒人王(さかとのみこ):酒造指導。岡崎市の酒人神社。
◆久斯之神(くしのかみ):平田市の佐香(さか)神社。

3)原初の神

◆酒水:京都府船井郡の摩気神社、鈴鹿市の酒井神社
◆酒甕:埼玉県児玉郡の「みか」神社

4)掌酒(さかびと)型の神人

◆高橋活日命(たかはしのいくひのみこと):掌酒。桜井市三輪町の大神神社(活日社)。

 以上の中で、今日の清酒酒造家が敬うのは、「1)記紀神話に現れた酒神」に出てくる松尾大社、大神神社、梅宮大神である。

 古文書に出てくる酒は、「古事記」の神代記のスサノヲノミコトがヤマタノオロチを退治した時に造らせた「八塩折之酒(やしおりのさけ)」が有名で、「日本書紀」にも同音異字で登場する。不思議なことに、酒を造らせたスサノヲノミコトは酒神となっていない。

「古代造酒」によれば大物主神または大彦神をもって造酒(みき)の神とし、他にも大物主、少彦名のニ神を酒の神として記述しているものが多く見受けられるようだ。こうした神々が酒造の方法を広く教えたらしい。

 日本の酒神は呼び名も難しく、酒場の話題にしづらいが、こんな行事は話のネタになりそうだ。

 宮崎県の高千穂で行われる「夜神楽」の行事。登場するのは、イザナギノミコトとイザナミノミコトだ。ここで二神は酒造りに励む。その後にその酒を飲んで酔っ払った後で和合する場面があるという。とても珍しい行事といえるのではないだろうか。

 もちろん、時と場合を考えて話さないとヒンシュクを買うので注意が必要だ。