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[ コラム ] 2009年10月02日

 古代メキシコだから、アステカ文明の酒神ということになる。アステカ族の酒といえば「チチャ(アカ・チャチャ)」という口噛み酒。一種のビールになるが、アステカ族は多くの酒神を崇めていたという。

 神々の長である「オメトクトリ」をはじめ、酔った人を事故死から守る「テクェクメカウイアニ」、酔っ払いに刑罰を与える「テートラヒュイアニ」、「クァトラパンキ」「パパスタック」という二日酔いの神様までいたようだ。

 多くの酒神のもとで、アステカ族にとって酔うことは神の思し召しであった。羨ましい?ことに、酔った人は社会的にも個人的にもいかなる束縛も受けなかったらしい。

 ちなみに、「チチャ(アカ・チャチャ)」は、紀元前2000年頃からメキシコからラテンアメリカ一帯で飲まれていた酒である。粉にしてこねた穀物を口内に含んで唾液を混ぜ、その発酵作用を利用して作られていた。主にトウモロコシが原料だったようだが、地域によってはキヌア(アカザ科の植物)やマニオク(キャッサバ)などのイモ類も用いられていた。どの段階で唾液を加えるのかも含めて、いろいろな「チチャ」があったという。

 アステカ文明にはもうひとつ、神に捧げる神聖な酒で今でも飲まれている伝承の酒がある。以前、テキーラのコラムで登場した「プルケ」だ。

 この「プルケ」にまつわる神話伝説を、酒場の話題にひとつご紹介しよう。ナワ族の神話伝説の中に出てくる「蜘蛛の災い」である。

 ギリシア神話におけるプロメテウスのように、人類に火をもたらしたとされるケツァルコアトル神は平和の神でもあった。ケツァルコアトル神は、アステカ文明の習慣であった人身供犠を人々にやめさせたという。そこで、人身供犠を好むアステカ族の神テスカトリポカの恨みを買った。

 テスカトリポカ神は自分の姿を蜘蛛に変えて、ケツァルコアトル神にプルケという酒を勧めた。ケツァルコアトル神はその甘美な味に酔いしれ、乱れた生活をするようになり、享楽にふけり、ついにはその地を去ることになった。そして自ら焼死し、金星となったという伝説である。

 この「蜘蛛の災い」は、トルテカ王トピルツィンの身に起こった話だともいわれている。トルテカ王トピルツィンはケツァルコアトル神に仕える大神官であり、当時、大神官は仕える神の名で呼ばれるのが慣習だった。人身供犠が習慣とはいえ、歴代の王にも厳としてケツァルコアトル神を信仰する者が現れたようである。一説によるとテスカトリポカ神の神官に酒で酔わされて女の神官と交わってしまい、神官としての純潔さを失ったがために都を去ったという。

 最後におまけもひとつ。世界最大の翼竜ケツァルコアトルスの名は、この神に由来するという。



[ コラム ] 2009年09月25日

 エジプトの酒神として名高い、オシリス。元々は人間だった。そして酒神である前に、冥界の神であるとともに豊穣の神であった。オシリスはどうして酒神として崇められるようになったのだろうか。

 人間だったオシリスには、イシスという妹がいた。イシスが先に亡くなり、嘆き悲しんだオシリスが冥界に入り支配することになったという。

 豊穣の神としてのオシリスは、人々に耕作や牧畜を教えたそうだ。毎年ナイル河に起こる恐ろしいが肥沃な土をもたらす氾濫とそれに続く豊作を約束する神であった。

 なぜ、オシリスが冥界の神であり、豊穣の神であるのかは定かではない。バッカスの葡萄も、枯れて芽吹くということから不死の生命をイメージさせたように、古代世界では死と生は一体として語られるものなのかもしれない。

 では、なぜオシリスが酒の神になったか。一説によると、ナイル河の氾濫と豊作という相反する二面性と、酒のもたらす善悪の二面性が一致したためともいわれている。悪い側面は別にしても、豊穣と酒は地域を問わず密接な関係にあるので、豊穣の神が酒の神になることは自然な流れだったのかもしれない。

 また、酒神の信仰は、暴飲を避け、できるだけその効用を得る意味があったようだ。酔っての乱行、自失の行為を律するために生み出された知恵ともいえる。蛇足ながら、そうした信仰が必要な人が現代にもまだまだいるようだが。

 酒場の話題としては、「死者の書」に出てくる菓子と麦酒のアアトと呼ばれる場所でのエピソードはどうだろうか。

 四つ裂きにされたオシリスの体をアアトで秤にかけて、その欠けていないことを確かめ、組み立て直し、生き返させる。オシリスは、天の菓子と麦酒をトト神から与えられて元気を取り戻した。

 酒は元気を与える薬にもなる、というオチである。



[ コラム ] 2009年09月18日

 酒神といわれて、ほとんどの人が思い起こすのは「バッカス」ではないだろうか。ギリシャ神話に登場する有名な神の一人である。ところで、「バッカス」というのはローマ時代の呼び方なのだが、ギリシャの神としては何と呼ばれていたかご存じだろうか。

 答えは、ディオニュソス。酒の神とはいっても、実はワインの神である。

 父親は、大神ゼウス。母親は、ゼウスの妻ヘラではなく、テーバイという国の王女セメーレである。嫉妬深いヘラは策略をもって、セメーレにゼウスの本身を見ることを望ませて、焼き殺してしまう。その時にセメーレはバッカスを身ごもっていて、それを知ったゼウスが火の中から子供と助け出し、脇腹で臨月まで育ててニンフ達に預けたというのが誕生の物語である。

 いつの世も浮気を知った妻の怒りはすさまじいもので、バッカスの苦難は続く。ニンフに育てられたバッカスは成長して、葡萄の栽培方法と果汁の絞り方を考えでしたのだが、またしてもヘラがバッカスの気を狂わせて、追い出した。バッカスは国々をさすらい、インドの方まで行ったという。そして至る所で葡萄の栽培方法やワインの作り方を教えたといわれている。

 ギリシャに帰ったバッカスは女神レアに授けられた自分の信仰を広めようとした。葡萄の神とは、冬に枯れ、春に芽吹く神であり、死んでは甦る不死の生命を持つ神として古代世界の人達に崇められたようだ。しかし酒の神であるから、一方で自由解放の喜びを与え、他方で狂気と破壊の野蛮に陥る危なさもあった。結果的にはあまりに熱狂的なものだったので、時の為政者によって無秩序と狂乱をもたらすとして禁止されたという。

 酒場の話題としては、次のような若い頃のエピソードなども面白いのではないだろうか。

 悪い船乗りたちが彼を捕まえて売り払おうと企み、船柱に縛り付けたところ、その柱から葡萄の蔓がはびこり、葡萄の房が垂れさがり、かぐわしいワインの匂いが流れた。船乗りたちは驚き恐れ、海に飛び込んだところ、皆イルカになってしまった。

 ちなみに、バッカスは演劇の神でもある。また、クレタ島の遺跡によると、ワインの神の前は蜂蜜酒の神であったという。