とp PBO:NPO法人 プロフェッショナル・バーテンダーズ機構
SCC2025 SUNTRY ザ・バーテンダーアワード WRLD CLASS 2024
[ 千葉県支部 ] 2009年04月19日

日時:平成21年4月19日 7時30分〜
場所:富士御殿場蒸留所
参加人数:39名(ビジターも参加)

・蒸留所紹介ビデオ上映
・蒸留所見学
・講義・原酒試飲・比較試飲テイスティング
・ブレンド体験
・質疑応答
・懇親会(御殿場高原ビール)

千葉県支部:富士御殿場蒸留所見学ツアー

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[ コラム ] 2009年04月17日

 西インド諸島で生まれたラムは、ジャマイカ島を中心砂糖工業が発達したことにより、糖蜜を用いる蒸留業として生産が盛んになった。18世紀になると悲しい人類の歴史の中で世界的な酒へと育ってきた。

 航海技術の進歩とヨーロッパ列強の植民地政策によって生まれた「三角貿易」をご存じだろうか。アフリカから黒人を奴隷として西インド諸島に連れてきて、サトウキビ栽培の労働力とする。そのカラになった船に糖蜜を積み、アメリカのニュー・イングランドに運ぶ。ここで糖蜜からつくったラムを積み込みアフリカへ戻る。そしてこのラムがアフリカの黒人と交換される。これが植民地史上有名な「三角貿易」である。アフリカ黒人の奴隷売買という悲しい歴史の中で、ラムは広がっていったのである。

 新大陸アメリカの人々にとってラムづくりは魅力的な商売であった。ラムは、バーボンやウィスキーよりも前につくられたアメリカで最初に蒸留された酒だったのだ。そして、魅力的な商売であったことが独立戦争のキッカケのひとつにもなったという。

 1733年、イギリス政府はイギリス植民地以外の土地からアメリカへ糖蜜を輸入することに対して、禁止的な高い関税を課すことにした。低価格で品質の良いフランス植民地からの糖蜜輸入の排除を狙ったのである。これによって密輸が増え、1764年には「糖蜜法」が生まれて密輸を厳しく取り締まるようになった。こうした政策がアメリカ独立戦争の原因のひとつになったいわれているようだ。

 その後アメリカでは、1807年に「糖蜜の輸入禁止令」、1808年に「奴隷取引廃止令」が施行され、アメリカ本国でのラム製造が終わり、代わりにウィスキー製造が盛んになっていく。



[ コラム ] 2009年04月10日

 ラムは、フランス語では「ロム(Rhum)」、スペイン語では「ロン(Ron)」、ポルトガル語では「ロム(Rom)」とつづる。いずれも英語の「ラム(Rum)」から転化したという。

 ラムの誕生地は西インド諸島。その酒名も西インド諸島で生まれた。しかも、英語の単語から生まれたというのが英語学者たちの説である。その根拠になっている一節が、17世紀、チャールズ二世時代のイギリス植民地記録に残っているという。「サトウキビから蒸留した強烈な酒を、生まれて初めて口にした島の土着民たちは、みな酔って興奮(ランバリオン:rumbullion)した」という一節である。

 このランバリオンという英語は、現在は廃語となっているそうだ。この語頭の部分が残って、「ラム(Rum)」という酒名になったというのが英語学者たちの説だという。

 その他にも、サトウキビ属名のラテン語「サッカルム(Saccharum:糖の意味)」の語尾から「ラム(rum)」になったという説もある。多彩な顔を持つラム。名前の由来もいろいろあってしかるべきなのかもしれない。